プロフィール

小山ちほ「こやまちほ」


■1975年 4月14日生まれ 49歳
■神奈川県出身 
■2人の男児(次男は指定難病)
■立憲民主党愛知15区(豊橋市・田原市)
■衆議院議員 
・文部科学委員会所属
・食料品の消費税ゼロ%を実現する会事務局長補佐
・リニア中央新幹線建設促進期成同盟会顧問
・リニア中央新幹線建設促進愛知県期成同盟会顧問
・三遠南信道路建設促進期成同盟会顧問

【経歴/職歴】

1988年  横浜市立吉原小学校卒業

1991年  横浜市立港南中学校卒業

1994年  神奈川県立横浜日野高等学校卒業

1996年  富士短期大学 経済学部卒業

1996年  株式会社 島忠入社

1999年  株式会社 アール・ティー・ジー・ジャパン入社(イオン㈱合併会社)

2002年  株式会社 ニトリ入社

2007年  株式会社 桜会入社(特別老人施設)

■福祉住環境コーディネーター・訪問介護士2級取得

2019年   統一地方選挙にて、立憲民主党の車上アナウンスを経験。 

2021年  株式会社 LITALICO入社

2023年   統一地方選挙にて当選。川口市議会議員としての活動が始まる。

2024 年   衆議院議員選挙に挑戦、当選


エピソード

〜働く女性は私の憧れ!母の背中を見て育った幼少期〜


子どもの頃から鍵っ子だった私は、寂しがり屋の弟の世話をしながら、両親の帰りを待つ毎日でした。

ものごころついた頃、すでに母は「仕事をもつ女性」として私の目に映っていました。女性が仕事をもつ姿は私にとっては日常で、幼い頃から自然なものとして認識していました。

両親不在の時間は「私がこの家を守らねば!」子どもなりに家の中での責任を担っていたのかもしれません。今から思えば大人びた子どもでした。

そんな私は早くから自立心が芽生え、活発な女の子へと成長していきました。

「常に明るく!ポジティブに!」「見て見ぬふりはできない!」「困っている人をほっておけない!」

そして、「女性がいきいきと仕事し、家事育児を両立できる社会をつくるべき!」

このような性格と社会での女性の在り方に強くこだわるその考え方は、私の生まれ育った環境が大きく関わっているのかもしれません。

〜粘り強さと諦めない精神力を育んだ学生時代!ポジティブガールへの道〜


小学生になった私は、いつも明るく!人一倍よく喋り!お世話好きな少女となりました!そしてクラスでは委員会や生徒会に積極的に参加する!THE ポジティブガールへと成長していきました!

中学生からの6年間は、ハンドボール部に所属し、全国大会を目指した日々を送りました。この汗と涙を流した学生時代が現在に至る「粘り強さ」と「諦めない精神」の根底になったと考えています。

時には厳しく、愛情をもって指導してくださった恩師には今でも感謝しています。そして、チームワークから生み出される大きな力、そしてコミュニケーションの重要性、そして助け合いの精神を最初に学んだ場でもありました。



〜甘くはなかった!挫折からスタートした社会人生活〜


昭和50年生まれ!といえば「就職"超氷河期時代"」です。私も厳しい就職活動を経験したその一人でした。書類選考で断られるのはあたり前、やっとの思いで面接まで進んでも、なかなか内定をいただくことはできませんでした。私は自信をなくし、まるで自分のすべてを否定されてしまったような、そんなどん底を経験した時期でした。

その後、初の就職活動を乗り越え、職場では徐々に努力と実績を評価していただきました。そして、持ち前の快活さとフットワークの軽さ、そしてコミュニケーション能力を買ってくださる様々な企業から声をかけていただきました。 

島忠・ニトリ・イオン系グループ"アール・ティー・ジージャパン"などの企業で営業職を経験、その後、老人ホームにて、現場と営業を経験、福祉へと活動を広げていきました。


〜結婚・出産・育児!様々な困難から諦めない人生へ〜


その後、結婚、死産、2人の男児出産を経験しました。

次男が指定難病だとわかるまでには5年もの月日がかかりました。諦めずに何度となく様々な病院に相談にいきました。

指定難病だとわかったとき、やっと判明した!というほっとした気持ちも束の間、同時に将来に対する不安感、子供に対する罪悪感…さまざまな感情に押しつぶされそうになりました。

指定難病の子供を育てるなか、環境や制度について多くの問題や疑問をもつようになりました。それは同時に子どもの未来に対する不安と現状に対する歯がゆさを、心底から感じた瞬間でした。「社会を根底から変えなければ!」その思いこそが、私がこの道へと突き進むことになる大きなきっかけでした。

子育てがひと段落したころ、自身の経験を生かし、障がい福祉会社「LITALICO」へ入社しました。そこで私は大きなことに気づかされました。それは、自分以外にも多種多様な辛い経験をしている人がいる、そして悩みを抱えて生きている方々が大勢いるという現実!個人だけの問題ではなく社会全体に関わる!そんな現状があるということに直面したのでした。その頃から、さらに「この社会をどうにかしたい!」そのような思いが日に日に募るようになりました。